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テスト投稿

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どんなもんだか

GW始まる

始まってみたものの、特に予定もないのでひたすら家でのんびり生活になるんじゃないかと。

20110529

渋滞も始まったみたいで、ちょっと出かけてみようという気も失せる。

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リスキーだ

で、何の講習会だったかというと「安全衛生推進者」という立場が会社には必要だったので、渋々なんですが、受けることにしました。

もともは、居たんですが私と入れ替わりに福島の工場に赴任してしまったので、その立場がぽっかり空いてしまっていたんですね。

しかし、リスキーですよ。この立場は。

ますますストレスため込みそう。

無事終了

無事終了
講習会終了

講習会

さすがに二日目は、前日の疲れが残っているようで、気が入らず。
あと5時間気力を持たせねば。

初日終了

本日は、某場所で講習会を受講。

二日間コースなので、明日も...。

何度か寝そうになったが、堪えました。

心のケアも必要だ

福島県内の避難所巡回

 県は、東日本大震災によるストレスなどに悩む福島県内の被災者を支援するため、「心のケアチーム」の派遣を決めた。

 チームは県立精神医療センターと県立精神保健福祉センターの精神科医と看護師らで構成。

 第1陣となる5人は、今月12日から19日にかけ、福島県三春町内に設けられた避難所4か所を巡回、約450人を対象に相談や診断などを行う。抗不安薬や睡眠薬なども持参する。

 県によると、震災のショックや長期化する避難生活の影響で、被災者には心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの発症の恐れがあり、専門的なケアが必要だという。

 県福祉部は「時間をかけたケアが必要となる段階だ。被災者の話をゆっくり聞く時間を設けたい」としている。

 チームの派遣は、厚生労働省の要請を受けて決まった。

 県福祉部は、全4チーム(計17人)を交代で5月6日まで派遣する。福島県田村市、郡山市周辺の避難所も巡回する予定という。

(2011年4月8日  読売新聞)
そういえば、私の通う心療内科も予約以外の外来患者の受入れを始めたとの貼り紙がされていた。
直接の被災地ではないが、これだけ余震が続いたりすると、不安になったり、体調不良になる人も居るのだろう。

あれから一ヶ月

気がつけば東京の外れも桜が見頃。

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今日は関東地方で強い余震がありました。(今も時々、続いています)

福島工場の従業員達は余震に慣らされてしまっているようで、「またか・・・」くらいに思っていたらしい。

あれから、一ヶ月。

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この写真は地震直後に取られた、福島工場の事務所に掛けてあった時計。

現地の従業員が送ってくれました。

ちょうど、一ヶ月前のその時、私は日課である別工場の工場視察に向かう途中でした。

信号待ちで、ブレーキを踏んでいるのにも関わらず車が動きそうな振動。

ブレーキの踏みが甘くて、クリープ現象でも出ているのかと思い強くブレーキを踏んだとたんに信号が変わり、発進。

アンダーパスをくぐって、登り切った信号で止まったときに、周りの車を見て初めて地震と云うことに気がついた。特に隣にいたトラックはねじれるように、車体を振るわせていた。

信号も電柱も揺れるというか、今にも折れそうな勢い。

中越地震が頭を過ぎった。あのときは太い看板のそばにいて、根元から揺れる野を見ていた。

信号待ちの間は、身動きが取れない自分の置かれた状況から、ぷちパニック発作。
手に汗握るは、鼓動は激しくなるわ、血の気は引くはという本当にどうにもならない状態。

しかも揺れで目が回りそうになるし...。

信号が変わって走り出すと、少し落ち着きを取り戻した。そして周りを見渡すと、街道沿いの工場などから大勢の人が外に避難していた。

相当ひどかったんだろうと思っていたら、ラジオで震源は福島と知らされる。

工場に着いて、すぐさま福島の状況が入ってきた。携帯電話は不通であったが、福島工場とはIP電話で内線で繋がっていたので、情報は入りやすかった。

新しい建物だし、「福島は地震に強い」と聞いていたし、実際に地元の人もそう言っていたし大丈夫だろうと思っていた。自分が赴任していたときも何度か大きな地震があったものの、たいしたことがなかった。

でも、壊れた壁の写真や写真にある時計の状態を見たときには、「まさか・・・」という思いが頭を過ぎった。
自分がプランニングして、設計・施工と全てを見てきただけにショックだった。

事務所にあるTVではライブ中継で状況を伝えていた。
場所は岩手だったと思うのだが、押し寄せる波に飲み込まれる車を見た瞬間に、「とんでもないことになった」と。
その日は正直TVにかじりつき状態で、全く仕事ならず。

その頃、私の所属する本社工場では私は行方不明扱いになっていた。

行き先掲示板には、○○工場とちゃんと書いていったのだがみんな慌てていて、見ていなかったらしい。

とあえず、本社工場に戻ってその日は早仕舞い。

翌週から計画停電や物資(特にガソリン)に振り回されながら暮らすことになるのだが。

まだまだ、収束に向けての道のりは長そうであるが、何とか頑張っていきたいなと。

また、原発で対応に当たっている関係者にも頭が下がる思いである。

桜の季節

下ばかり向いて歩いていたら、すっかり忘れてました。

今週末にはもう少し増えますかね。

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何と言っていいのか

今日から4月。

3.11から3週間が過ぎました。首都圏のゴタゴタも少しずつ緩和され、あれだけ並んでいたガソリンスタンドは何だったのか。

話は変わって、実は今回の震災でご両親を津波で亡くされた従業員(元部下)がおりまして、今日、仕事の関係で久しぶりに電話をかけました。

いつもなら、「久しぶり、元気?」と気軽に声をかけられるのですが、事情を知っているだけに最初の一言がなかなか出ずにいると、いつもの明るい声で「元気ないですね」と逆に言われてしまいました。

きっと、すごく辛いはずなのにいつもと変わらず明るい声。

こちらの心配をしてくれるその人柄に、思わず泣きそうになっちゃいました。

東北で勤務しているときは東北の方の我慢強さを感じることが度々あったのですが、今回もその強さを感じました。

がんばれ、東北。

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Don’t give up, Japan. Don’t give up, Tohoku 

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