2011.3.11

いちえふ

久々の更新ネタはこれ。

普通のコミックなら、さらっと読んじゃうんだけどこれに関しては、じっくり読むね。
震災前の現地には何度か足を運んでるし、やっぱり気になる。

立ち位置

今日で震災から一年。

各テレビ局では特番が色々組まれているようで。

震源地から離れていた東京でしたが、帰宅困難者が出たりと大変な一日、いや数日でした。

今でも当時の映像や現状を見ると胸が苦しくなります。

今思うとあの日から、自分の中で何かが変わってきているような気がします。

「自分は今、何をしたいんだろう」と思うことが度々。

特にここ数週間は人生の立ち位置について、考えることが多くなってきました。

もともとメンタル面は強い方ではないので、そんな難しいことを考えていると当然、体調も悪くなるわけで...。

そんなわけで、先ほど30分ばかり自転車漕いできました。

(あまり気分転換にはならなかったが)

まっ、今は頑張って働いて家族を養えればそれでいいかな。

行く年来る年

さて、今年も残り少なくなりました。

今年を振り返ってみると、日本の状況も自分自身の状況もあまりいい年ではなかったようです。

やっぱり、一番は3.11でしょうか。

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これが、今年の全てなんでしょうね。

自然災害とはいえ、今年一年の自分の環境をだいぶ変えたような気がします。

直接の被害を被ったわけではないですが、心身ともにだいぶやっつけられた感があります。

3.11がなかったらどうなのか?たら、ればで判断はできませんが...。

計画停電ガソリン不足による生活の不便さ。帰宅難民なんていうこともありました。

幸いにして個人的には直接の被害はなかったのですが、6月に現地に行く機会がありましたので街の様子や勤めていた勤務先をみるとやはり、相当のすごさを感じました。

特に4年間を福島県で過ごしてきて震災のほんの数ヶ月前に帰京し、周りからは「運が良かったね」と言われますが、果たしてそうだったのか?確かに震災後の物不足や一人暮らしを考えるとたぶん、どうしようもない不安感に押し潰されていたかもしれません。

現地ではそれぐらい逼迫してる情報は常に入っていましたから。

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まだまだ、原発問題という大きな課題と不安を残したままですが...。

今年少し心残りなのが、あまり釣りに行けなくなったことでしょうか。

まっ、環境が東北から関東になったので今まで通りにというわけには行かないのは判っていたつもりだったんですが...。

やっぱりここにも、3.11の影響はあるんですね。関東エリア(特に水郷)は軒並み震災の被害を受けているようだったので自粛。

東北は被災地なので、積極的に行こうと思ってもガソリン不足などによりタイミングが合わず。

更に自分の体調不良が長引いて思うような行動ができず。

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来年こそはもう少しペースを上げたいな。

その前に自分の健康を少し考えないと行けないかもしれません。相当心身ともに参っている感があります。

年末を迎え、十二指腸炎でダウン。精神的も医者から休養を進められる始末。

あと、禁煙を始めました。些細なことかもしれませんが、会社勤めより、カミサンよりも長いつきあいのたばこを止めました。

たぶん、来年も止めていると思います。

そんなこんないろいろありましたが、来年は明るい年にしたいと思います。

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今年一年お世話になった方々、ありがとうございました。

また来年も懲りずによろしくお願いします。

何とか我慢できています

禁煙チャレンジも、三日目。

本日は今のところ、完全禁煙。

いつまで持つだろうか?この三連休を何とか乗り切ってみたい。

禁煙のサイトや禁煙の先輩T氏のつぶやきによると、眠くなるらしい。

というか、今日の午前中はホントに眠かった。打ち合わせ中に何度か墜ちたよ。

ニコチンの離脱症状から来る眠気らしい。

昼休みに少し寝たら、眠気も何とか去ってくれた。

そういえば、ぼちぼちこんな時期。

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でも、ことしサケの戻る場所はあるんだろうか。

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2009年の福島県双葉郡大熊町の熊川における鮭漁の様子。

福島勤務時代に撮ったものだ。

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この左手には福島第一原子力発電所がある。

今もこの面影を残しているのだろうか。

結局

結局
郡山での仕事は完了せず、明日も
今日はホテルの十階に泊まる。

久しぶり福島県

約半年ぶりの郡山市内です。
明日は郡山の工場で仕事です。

心のケアも必要だ

福島県内の避難所巡回

 県は、東日本大震災によるストレスなどに悩む福島県内の被災者を支援するため、「心のケアチーム」の派遣を決めた。

 チームは県立精神医療センターと県立精神保健福祉センターの精神科医と看護師らで構成。

 第1陣となる5人は、今月12日から19日にかけ、福島県三春町内に設けられた避難所4か所を巡回、約450人を対象に相談や診断などを行う。抗不安薬や睡眠薬なども持参する。

 県によると、震災のショックや長期化する避難生活の影響で、被災者には心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの発症の恐れがあり、専門的なケアが必要だという。

 県福祉部は「時間をかけたケアが必要となる段階だ。被災者の話をゆっくり聞く時間を設けたい」としている。

 チームの派遣は、厚生労働省の要請を受けて決まった。

 県福祉部は、全4チーム(計17人)を交代で5月6日まで派遣する。福島県田村市、郡山市周辺の避難所も巡回する予定という。

(2011年4月8日  読売新聞)
そういえば、私の通う心療内科も予約以外の外来患者の受入れを始めたとの貼り紙がされていた。
直接の被災地ではないが、これだけ余震が続いたりすると、不安になったり、体調不良になる人も居るのだろう。

あれから一ヶ月

気がつけば東京の外れも桜が見頃。

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今日は関東地方で強い余震がありました。(今も時々、続いています)

福島工場の従業員達は余震に慣らされてしまっているようで、「またか・・・」くらいに思っていたらしい。

あれから、一ヶ月。

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この写真は地震直後に取られた、福島工場の事務所に掛けてあった時計。

現地の従業員が送ってくれました。

ちょうど、一ヶ月前のその時、私は日課である別工場の工場視察に向かう途中でした。

信号待ちで、ブレーキを踏んでいるのにも関わらず車が動きそうな振動。

ブレーキの踏みが甘くて、クリープ現象でも出ているのかと思い強くブレーキを踏んだとたんに信号が変わり、発進。

アンダーパスをくぐって、登り切った信号で止まったときに、周りの車を見て初めて地震と云うことに気がついた。特に隣にいたトラックはねじれるように、車体を振るわせていた。

信号も電柱も揺れるというか、今にも折れそうな勢い。

中越地震が頭を過ぎった。あのときは太い看板のそばにいて、根元から揺れる野を見ていた。

信号待ちの間は、身動きが取れない自分の置かれた状況から、ぷちパニック発作。
手に汗握るは、鼓動は激しくなるわ、血の気は引くはという本当にどうにもならない状態。

しかも揺れで目が回りそうになるし...。

信号が変わって走り出すと、少し落ち着きを取り戻した。そして周りを見渡すと、街道沿いの工場などから大勢の人が外に避難していた。

相当ひどかったんだろうと思っていたら、ラジオで震源は福島と知らされる。

工場に着いて、すぐさま福島の状況が入ってきた。携帯電話は不通であったが、福島工場とはIP電話で内線で繋がっていたので、情報は入りやすかった。

新しい建物だし、「福島は地震に強い」と聞いていたし、実際に地元の人もそう言っていたし大丈夫だろうと思っていた。自分が赴任していたときも何度か大きな地震があったものの、たいしたことがなかった。

でも、壊れた壁の写真や写真にある時計の状態を見たときには、「まさか・・・」という思いが頭を過ぎった。
自分がプランニングして、設計・施工と全てを見てきただけにショックだった。

事務所にあるTVではライブ中継で状況を伝えていた。
場所は岩手だったと思うのだが、押し寄せる波に飲み込まれる車を見た瞬間に、「とんでもないことになった」と。
その日は正直TVにかじりつき状態で、全く仕事ならず。

その頃、私の所属する本社工場では私は行方不明扱いになっていた。

行き先掲示板には、○○工場とちゃんと書いていったのだがみんな慌てていて、見ていなかったらしい。

とあえず、本社工場に戻ってその日は早仕舞い。

翌週から計画停電や物資(特にガソリン)に振り回されながら暮らすことになるのだが。

まだまだ、収束に向けての道のりは長そうであるが、何とか頑張っていきたいなと。

また、原発で対応に当たっている関係者にも頭が下がる思いである。

何と言っていいのか

今日から4月。

3.11から3週間が過ぎました。首都圏のゴタゴタも少しずつ緩和され、あれだけ並んでいたガソリンスタンドは何だったのか。

話は変わって、実は今回の震災でご両親を津波で亡くされた従業員(元部下)がおりまして、今日、仕事の関係で久しぶりに電話をかけました。

いつもなら、「久しぶり、元気?」と気軽に声をかけられるのですが、事情を知っているだけに最初の一言がなかなか出ずにいると、いつもの明るい声で「元気ないですね」と逆に言われてしまいました。

きっと、すごく辛いはずなのにいつもと変わらず明るい声。

こちらの心配をしてくれるその人柄に、思わず泣きそうになっちゃいました。

東北で勤務しているときは東北の方の我慢強さを感じることが度々あったのですが、今回もその強さを感じました。

がんばれ、東北。

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Don’t give up, Japan. Don’t give up, Tohoku 

その理由

ちょっと前に、The last paradise 86の4月釣行をキャンセルしたお話を書きましたが、もうひとつ理由がありました。

それは道中の燃料です。

距離にして600km以上を給油なしで走りきることは難しく、過去の給油のタイミングを見ると恐らく、安積SAで給油すれば何とか秋田まで走ることは可能です。

が、ちょいと不安になるので鶴巣で給油して、更に念押しで前沢SAで給油というところでしょうか。

ということは今回の被災地で給油することを余儀なくされるわけで。

今も被災地では給油に大変な思いをされている状況を考えると、「やっぱり無理だよなぁ」となったわけで。

首都圏も震災直後は、ガソリンスタンドでの長蛇の列があちらこちらで見られ、中には品切れで閉店というケースも多々ありました。

その時に、ふと「高速道路ならガソリンあるんじゃない?」と思ったのですが実は震災の前日に満タンにしておりまして、そんなに逼迫した状況ではなかったので実行には移しませんでしたが、実際に釣行時にガソリンが入手できるかどうかということが非常に不安でした。

また、ホントに欲しい人に行き渡らなければ...と思い、キャンセルに至りました。

で、現状はどうなのか。

【東日本大震災】東北道SAでの給油状況は…

レスポンス 3月30日(水)0時52分配信

一般車両にも開放され、被災地へ向かおうとするクルマで混雑する東北自動車道。気になるのは「サービスエリア(SA)で給油できるのか?」ということだ。一時期は緊急車両以外は給油できない場所が多かったが、今では一般車も給油可能となっている。

どこのSAも普段とは進入経路が異なっており、警備員が誘導を行っている。車列対策で駐車スペース内に迂回路を設定しているところもある。

給油待ちの車列はどこも長めだが、車列が確認できる状態であればまだ良い方だ。「朝のピーク時や週末はサービスエリアの駐車スペースが給油待ちのクルマで埋め尽くされ、1時間以上お待たせすることもある」とスタンドのスタッフは説明する。

ただ、ピークを外すことができれば、それほど待たずに給油できる。関東エリアに近いほどこの傾向が強いが、東北エリアへに近づくにつれて混雑がひどくなり、国見SAでは進入路の入口付近まで続く長い列に加え、一般車両には2000円までの制限が付くようになった。

価格は3月29日現在でレギュラーが1リットルあたり151円、ハイオクが同162円、軽油が同131円。ハイオクの在庫が薄いスタンドもあるので注意が必要だ。価格は震災前と比較して二段ほど上昇しているという。

http://response.jp/article/2011/03/30/154018.html

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